Site Feedback

交流について一つのお考え

じつはあたしもそういう文化の衝突したこともありますが、はじめのときは、ショックしたり、迷ったりしてしまいましたが、外国語を勉強するのは、ただ言葉の勉強しなくて、その言葉を話してる国の人々の心や文化、生活習慣、とか勉強して理解しようこともとても大事だと思い、言葉を話す人間が居るこそ、言葉には命がもつようになるんじゃないでしょうか、もし世界のどこの人も同じ考えだと、人と付き合う必要もなくなるし、話す必要も無くなるのでしょう、だってみんなが同じ考えだからって今はそう思ってるんです。
どうして理解できないときも、譲れないときも正直に言えばあるんですけど、いつもこの言葉がすごく好きです「海纳百川]。その言葉の意味は、海がひろくなれるのは広い心があるこそいろいろな湖などがはいれる、入れるほど、自分も段々広くなってくって、人間も同じじゃないかなっておもってるんです。

まあ、かといてもね、縁という物もあるのは信じてる、ときどき全然話すこと出来ない相手もいるのは事実ですが、そういう時仕方が無いと思っております。でも、先入観というのは異文化交流には悪いと思います、たとえば、なになにじんはこのようだ、とかですね

他のくにやひとをりかいしようとしたり、りかいしてもらおうとすることには、そういう姿勢そのものが貴重だとおもいます。

Share:

 

2 comments

    Please enter between 0 and 2000 characters.

     

    Corrections

     

    交流について一つの考え

     

    じつは私もそういう文化の衝突を経験したこともあります はじめのときは、ショックを受けたり、迷ったりしてしまいましたが、外国語を勉強するにあたり、ただ言葉の勉強だけではなくて、その言葉されている国の人々の心や文化、生活習慣などを勉強して理解しようとすることもとても大事なことだと思いうようになりました。 その言葉を話す人間が居ればこそ、言葉は命もつようになるのではないでしょうか、もし世界のどこの人間もが同じ考え方を持つとすると、人と付き合う必要もなくなるし、話す必要も無くなるのではないでしょうか。だってみんなが同じ考え方をする訳ではないのだからって、今はそう思っています。 が

    どうして理解できないとき、譲れないときも正直に言えばあるんです、いつもこの言葉を思いだします。「海纳百川]。その意味は、海が広くなれのは、広い心があればこそ、様々な川を受け入れれば、受け入れるほど、自分も段々と広くなっていった。人間も同じじゃないかなっておもってるんです。

    まあ、かと言いましても、縁という物があることも信じています。 ときどき、全然話すこと出来ない相手いることは事実ですが、そういう時には仕方無いことだと考えます。でも、先入観を持つということは異文化交流にとって悪いことだと思います、たとえば、なになにじんはこのようだ、とかですね

    他の国や人を理解しようとしたり、理解してもらおうとすること、そういう姿勢そのものが重要ではないかと思っています。

     

    ※ 中国人の日本語は、漢語での文章の書き方の影響で、一文が長くなる傾向があります。一文一意でいきましょう。 日本語は近年、一文が短くなる傾向にあります。 古い(50年前までくらいかな?)日本語は漢語の影響で長い一文を良としてきました。

     

     

     

    Write a correction

    Please enter between 25 and 8000 characters.

     

    More notebook entries written in Japanese

    Show More