同様の概念でも表現が異なる
難しい言葉や文法はある言語をいくら勉強しても、なかなか終わらないものだ。
辞書は語学者の大好きな恋人のように、不可欠な存在である。
とはいえ、言語を分からないというのは言葉の形を超えて、文化に要因がある。
例をあげよう。
金曜日に友達に電話して、来週の日曜日に遊ぼうと決める。
二日間後、携帯の受信箱に友達からのメッセンージがある。「どこにいるの?」と書いてある。
その時、あら、来週の日曜日と言ったのに、今週の日曜日だと誤解されたのかなと考えるしかない。
しかし、その友達に電話してみたら、「ええっ、うそ!来週って言ってたでしょー!それは今日だよ!」と言われ続ける。 ※「ええっ、うそ!」驚いたときについ言ってしまう一言。
「だって、週は月曜日から始まるでしょう」と自分は当たり前なことを言いながら、日の誤解の原因がどんどん分かりにくくなっていく。
「違うよ。週は日曜日から始まるものなんだ」と友達が断言する。
これは言葉の違いでも文法の違いでもない。※「~でも、~でもない」と「でも」は繰り返して使います。あくまで国の文化の一般論に関する誤解だ。
自分の国では週が月曜日から始まるからといって、全世界が同じだと思い込んではいけない。
つまり、自分のあれこれが当たり前だろうと思うものがほとんどとはいえ、実際に違う国に行って見たら物事の概念に対する表現が自分の国と違う表現であることは珍しくない。
これについて、ある友達からの印象に残ったものがあった。
「人間である以上90%の思考概念は共通でしょうが、それを表現する単語が見事に対応することは稀です。」
もし言語を本当に理解できるようになりたいなら、人間の脳の基本的な回路や人間学やその国の社会学を学ぶ必要があると私は思う。
言語を理解するのはそれほど簡単なものではない。
確かに添削はしなくても良いくらいですが、メッセージのやり取りのところはこんな感じにした方がより自然ですね :) 参考までに。