高コンテキスト文化? (この日本語はないのですが、英語では何と言いますか?)
最近、高コンテキスト文化の記事を読みました。高コンテキスト文化の国の人は、その場の雰囲気を感じ取ってくれるので、自分が何を考えているかをすべて話す必要がありません。 その記事を読んで日本の合気道の授業とイギリスのカンフーの授業の経験を思い出しました。
日本の合気道の授業が始まる時は、先生は生徒に授業を始めることを伝えなくても問題ありませんでした。生徒達は授業が始まる前に先生が動きをしっかりと見ていました。先生が生徒の前の座る場所に近づいたら、授業が 始まることが生徒達には分かっていました。でも、イギリスのカンフーの授業は全然違いました。先生が生徒達の前に授業を始めるために立っても、生徒達は、そのまま話し続けていました。この国の文化は空気を読まないのです。それで、先生が『皆さん始めましょう』と言ったら生徒達は、静かにすばやく並びました。どう思いますか。同じような経験はありますか。
※自然な流れになるように直しました。
※日本は長い間、鎖国をしていたという歴史的背景があるので、何も言わなくても相手に通じるというものがあると思います。
高(コン)テキスト文化(/高(コン)テクスト文化)
※言語学などではこのように言うので、合っていますよ^^
最近、高コンテキスト文化の記事を読みました。高コンテキスト文化の国の人は、その場の雰囲気を感じ取(ってくれ)るので、自分が何を考えているかをすべて話す必要がありません。 その記事を読んで日本の合気道の授業とイギリスのカンフーの授業の経験を思い出しました。日本の(/で)合気道の授業が始まった時、先生は生徒に授業を始めることを伝えなくても問題ありませんでした。生徒達は授業が始まる前に先生が何をしているか見ていました。先生が生徒の前に座る場所に近づいたら生徒の座る前に立ったら、授業が始まることが生徒達には分かっていました。でも、イギリスのカンフーの授業は全然違いました。先生が生徒達の前に授業を始めるために立っても、生徒達は、動かないで話し続け(てい)ました。そこの国の文化は空気を読まないのです。それからそして、先生が『皆さん始めましょう』と言ったら、生徒達は、静かにすばやく並びました。どう思いますか。同じような経験はありますか。
日本は直接的な表現をしないので、高テキスト文化に慣れていない人には分かりづらいかもしれませんね^^;
エアコンをつけて欲しかったら、「この部屋は暑いですね。」と言ってみたり…。