「大河の一滴」
最近、翻訳教育で五木寛之の「大河の一滴」という作品を訳し始めました。五木寛之を知っていますか。
五木氏の語り方は印象深いですが、どっさりたくさん比喩を使いますうので、ドイツ語で訳すのは大きな課題です。そうかと言ってそれでも、この上とも今後もドイツの独訳を頑張ります。
先生はいつも「『大河の一滴』のメッセージは人生を肯定しています。五木は自害についてお話し言及していますが、本的作の連述記述は積極的です」と言いましたっています。ところが、私にとって作品の冒頭は非常に厭世的です。悩ましくなってきました。多分作品を読み続けたら、この感覚も姿を消すでしょう。
今度英語の訳を読むつもりですからなので、今日の授業の後で家に帰り、インターネットで英訳版「TARIKI」という作品集を買いました。
「大河の一滴」の引照引用で簡潔な日記の書き込みを終わりたいですと思います。
「ひょいと気軽に道路の白線をまたぐように、人は日常生活を投げ出すこともありえないことではない。」
『『大河の一滴』のメッセージは人生を肯定しています。』is not bad,but I would say 『この作品には、人生を肯定的にとらえようとする作者のメッセージが込められています。』.
『そうかと言って』や『この上とも』の使い方は間違っていないですが、もっとシンプルな言葉を選んだ方が読みやすいと思います。
真剣に日本語を勉強していることが良く分かります。今後も頑張ってください。 I hope you will be able to come to Japan someday.Please know that you are always welcome here in Japan:)