「かな」というのは、現代では感嘆の意味で使うことはないので、現代文としての例文はありません。現代に使われる「かな」の意味は、「~かどうかを(自分で)考えてみよう。」ということです。こんなに悩むことはないのかな?は、「こんなに悩むことはないのか考えてみよう。」と自分に疑問をなげかけていることになります。実際に考えるかどうかはどうでもいいことで、そう言うことで納得するような場合にも使い、この文の場合は、納得しようとしていると思われます。だから、「こんなに悩むことはないのかな?」というのと「こんなに悩むことはないですか?」というのは少し違うわけです。また、「できるかな?」と質問する文もあります、これも「できますか?」というのと違いは、「できるかな?」は「できるかどうか自分で考えてみよう」という意味であって、考えた結果、できると思うか思わないかを答えてほしい疑問文なのに対し、「できますか?」は実際にできるかどうかを単純に聞いている、ということなので、二つの文には違いがあるわけです。「誰か行ってくれないかな」にしても、「誰か行ってくれないか考えてみよう。」ということだし、「なんであんな言い方をするのかな」も「なんであんな言い方をするのか考えてみよう。または、考えてほしい。」という意味で、考えてもわからないから納得できない、ということになります。だから、「なんであんな言い方をするのですか?」という疑問文とも意味は違うことがわかると思います。なので、現代使われている「かな」というのは、文法的にはいろいろ分類されるかもしれませんが、私が思うには、すべて同じ意味合いで使われていると思います。