この文章の中で何か不自然な点はありますか?
長い間に人間関係に漬けると、 人間の独特な「自然属性」と言えるものが感じられる。一昨年、 昔の親友と長年ぶりに会った時、 お互いが自分が幸せだと思われたいの強がりが感じ、 2時間しかないの再会はたんたん耐えられない職場同僚の飲み会になった。結局、 親友との縁が切った。
もう一つの例は昨年のことだ。友達があの時まだルームメイトを探していた。ある日、友達がルームメイト候補者としてのある女の子に部屋を内見させた。愉快な内見だと思っていたが、あの女と別れた後、 友たちは「あの人が日本に来てこんなに長くなって日本語がこんなに下手ですね」と私に言った。その時、 妙な感じが生じていた。人間はいつも自分のことを標準にして他人を判断する。そのため、 友達がそのことを言ったときは間違いなく自分の日本語の実力に対する自信を持っていた。これは他人との対比から生まれる隠れた優越感だ。
明らかにする必要があるのは、 以上の強いがりと優越感は決してその2人たげのことではなく、 そして、その2人自身の性格にも関係がややなく、 もはや人間が生まれ付き自然属性の一種と言えるだろう。このことでは、誰でも他人に石を投げる人になることはできないと私が思っている。
このような人間の特別な「属性」が気づいていない人にとって、別に恐怖とか悲しみとかがないが、 既に気づいた人にとっては、 気づいたなのに直すのはできないという脱力感が生じ、その感じを持ちながら生活しなければならない。まるで巨大な荷物を負って生活しているように、 恐怖感が出て来ている。