合気道について
中学生の時、合気道についての記事を読んで、合気道に興味を持ち始めましたが、日本に行く前に体験や稽古の機会がありませんでした。その記事によると、他の武道と違って、合気道は相手を暴力で相手を倒そうとするものではありません。その代わりに相手の攻撃に合わせて、そのエネルギーを柔らかく別の方向に導いて無力化しようとします。こういう風に自分自身や大切な人を守るためだけでなく、襲っている人も守ってあげます。その人の心の中にある敵対心が完全になくなってしまれば攻撃をやめると書いてありました。そのとても柔らかく人間中心的な考え方は素晴らしいと思いました。すごく感動したため愛媛県にいた時、合気道を始めることにしました。
合気道の稽古をするにつれてたくさんのことを学んできました。初めは技に関することだけだと思いましたが、だんだん人生の関係もあると分かりました。例えば、無駄に力を入れるのはいけないということです。稽古をする時、無駄に力を入れたら技が効かないのです。もちろん、全部の力を抜けたら動けなくなって技もできませんが、力勝負になったら一番強い人は必ず勝ちます。それは愛機度ではありません。相手の力に真っ正面にぶつかったら嫌な感じが生まれて繋がりができても相手は抵抗したくなります。ですが、もし気の繋がりに信頼して自分が選びたい道ではなく、自然にある一番動きやすい道を見つけたら楽に動けるようになります。これで取りも受けもリラックスできて、余計な力を入れなくなってしまいます。
自分が選んだ道に無理矢理に力で進もうとするのは技に関する間違いだけでなく、人生の中でも間違いだと思います。やりたいからやった方がいいと思って無理矢理にやろうとしたら一番自然的な道でなく自分の頭の中で一番ロマンがある道とか自分の価値観にとって最高だと思う道を選ぶのですが、それをすると一番自然と合う道を選ばないのです。これで苦しみが生まれてきます。 頭の中で作った説話は現実ではないのです。その説話は現実に関する想定に基づいています。現実を自分の説話になるように力で無理矢理にさせようとすることは道場で無理矢理に力を入れて相手を倒そうと同じことです。その道は苦しみに導いています。
自分の説話の代わり、直接に現実と接続できたらその説話は支障になりません。そうする一番いい方法は自分の存在とか自分のエゴというものを消すことです。その説話はエゴから産んだので、もしその説話の迷惑から脱走したかったら自分の存在の愛着を完全に捨てた方がいいです。道場では自分のエゴを消したら相手の力やバランスをはるかに感じます。相手の気を飲み込んで相手と一体になることができます。一体になると一緒に動けるようになって自分自身と相手自身を守ることもできます。無理矢理に力が入ると、二つの体になって競争感が生まれ、力勝負になってしまいます。空っぽになって相手と一体になることができたら合気道の技はすごくうまく行けると経験しています。
人生にも現実に合わせるために自分存在の愛着を消すことはすごく大事だと思います。自分存在の愛着は欲望の根です。自分が欲しいものや自分がやりたいことやもらいたいことは欲望感と不満足を産んでしまいます。これらの結果に結びついている感情は、「欲望が満たされないと、満足感や幸福感が得られない」ということを表しています。しかし、たとえ欲望が満たされたとしても、また別の新しい欲望が現れます。
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合気道について
中学生の時、合気道についての記事を読んで、合気道に興味を持ち始めましたが、日本に行く前に体験や稽古の機会がありませんでした。その記事によると、他の武道と違って、合気道は相手を暴力で相手を倒そうとするものではありません。その代わりに相手の攻撃に合わせて、そのエネルギーを柔らかく別の方向に導いて無力化しようとします。こういう風に自分自身や大切な人を守るためだけでなく、戦う相手も守ってあげます。OR これは自分自身や大切な人を守るだけでなく、戦う相手も守る(傷つけない)という精神道です。
相手の心の中にある敵対心が完全になくなってしまれば攻撃をやめると書いてありました。そのとても柔らかく人間中心的な考え方は素晴らしいと思いました。すごく感動したため愛媛県にいた時、合気道を始めることにしました。
合気道の稽古をするにつれてたくさんのことを学んできました。初めは技に関することだけだと思いましたが、だんだん人生の関係もあると分かりました。例えば、無駄に力を入れるのはいけないということです。稽古をする時、無駄に力を入れたら技が効かないのです。もちろん、全部の力を抜けたら動けなくなって技もできませんが、力勝負になったら一番強い人は必ず勝ちます。それは合気道ではありません。相手の力に真っ正面にぶつかったら嫌な感じが生まれるので、繋がりができても相手は抵抗しようとします。ですが、もし気の繋がりを信頼して自分が選びたい道ではなく、自然にある一番動きやすい道を見つけたら楽に動けるようになります。これで取りも受けもリラックスできて、余計な力が入れなくなってしまいます。
嫌な感じ・・敵対心(てきたいしん)、 敵愾心(てきがいしん)、あるいは、不自然な感じ、不調和、不協和、摩擦(まさつ)などの言葉も当てはまると思います。
余分な力が入らなくなってしまいます。・・余分な力は不要になります かな?
自分が選んだ道に無理矢理に力で進もうとするのは技に関する間違いだけでなく、人生の中でも間違いだと思います。やりたいからやった方がいいと思って無理矢理にやろうとしたら一番自然的な道でなく自分の頭の中で一番ロマンがある道とか自分の価値観にとって最高だと思う道を選ぶのですが、それをすると一番自然と合う道を選ばないのです。これで苦しみが生まれてきます。
頭の中で作った説話は現実ではないのです。その説話は現実に関する想定に基づいています。現実を自分の説話になるように力で無理矢理にさせようとすることは、道場で無理矢理に力を入れて相手を倒そうとするのと同じことです。その道は苦しみに導びかれます。or 続いていきます。
説話・・想像かな?
現実を自分の想像になるように・・普通は逆の言い方をします。自分の想像を現実化するように
自分の説話の代わり、直接に現実と接続できたらその説話は支障になりません。・・この文は少しわかりにくいです。
想像するのではなく、それが現実と繋がるならその想像は支障になりません かな?
そうする一番いい方法は自分の存在とか自分のエゴというものを消すことです。その説話はエゴから生まれたものなので、もしその説話の柵(しがらみ) or 呪縛(じゅばく)から脱走したかったら自分の存在の愛着(執着?)を完全に捨てた方がいいです。道場では自分のエゴを消したら相手の力やバランスをはるかに感じます。相手の気を飲み込んで相手と一体になることができます。一体になると一緒に動けるようになって自分自身と相手自身を守ることもできます。無理矢理に力が入ると、二つの体になって競争心が生まれ、力勝負になってしまいます。空っぽになって相手と一体になることができたら合気道の技はすごくうまく行けると経験しています。
人生にも現実に合わせるために自分存在の愛着(執着?)を消すことはすごく大事だと思います。自分存在の愛着は欲望の根です。自分が欲しいものや自分がやりたいことやもらいたいことは欲望感と不満足(失望感?)を産んでしまいます。これらの結果に結びついている感情は、「欲望が満たされないと、満足感や幸福感が得られない」ということを表しています。しかし、たとえ欲望が満たされたとしても、また別の新しい欲望が現れます。
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説話・・この話の内容からすると、想像、空想、夢 などの事だと思います。説話は、tale, story, narrative ですが、合気道の言葉として何かちがう意味があるのかな?
抽象的な内容なので私の理解が間違っているかもしれませんが、添削がお役に立てば幸いです。
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