1.意味は同じです。 交換できます。どちらも正しいです。
2.でも、どちらか強いて選ぶならば、「紛らそうとした」の方が正しいと、個人的には思います。
3.しかし、通常は「紛らわそうとした」のほうが多く使われます。私も「紛らわす」「紛らわそうとした」と言います(そのほうが言いやすいから)。
※ 手元の辞書「広辞苑」では、「紛らす」と「紛らわす」の両方が、別の動詞として載っています。
しかし、それでもなお、私のいまの考えはやはり上記の1-3です。
-------------------------
根源の言葉は「紛る(まぎる)」という古語です。古語辞典を引けば、「紛る(まぎる)」が載っています
であるなら、
「まぎる → まぎらしい」
となるはずです。
いそぐ → いそがしい
たのむ → たのもしい(たのましい)
なつく → なつかしい
さわぐ → さわがしい
いとう → いとわしい
おそれる → おそろしい(おそらしい)
わずらう → わずらわしい
このむ → このましい/このもしい
うらやむ → うらやましい
うらむ → うらめしい
のように、
まぎる → まぎらしい
となるのが自然に思える。
(※ ここから先は、わたしの「推測」です)
しかし、「まぎらしい」というのは発音しにくい(口が動かしにくい)。
なので「わ」を入れて、「まぎらわしい」という言葉が一般化しました。
ほかには:
嘆く(なげく)→なげかしい → なげかわしい
いかがし → いかがわしい(
あわつ → あわたし → あわたたし → あわただしい
のような例があります。
最初は発音補助の変則用法だったはずの「まぎらわしい」ですが、いつのまにか一般化し、みんな、こっちの方が正しいと思うようになりました。
というわけで、「まぎらわしい」から「まぎらわす」という動詞が生まれました。
現代語では「紛れる」「紛らす」「紛らわす」「紛らわしい」が一組になっています。変則だったはずの言葉が今や正統になりました。
しかし「紛らわす」はしょせん、変則ですから、ときどき、
「田中さんはピアノを弾いて失恋の悲しさを紛らそうとした」のように正しい言葉遣いに戻ることがあるわけです。