何故日本人は「大和民族」と呼ばれていますか?(1)
やっと何故日本人は「大和民族」と呼ばれることが分かりました!\(^o^)/
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
「大和」と書いて「やまと」と読む。皆さんは何故「大和」を「やまと」と読むのか、不思議に思ったことはありませんか?
「だいわ」とは読めても「やまと」とはとても読めません。しかし古代から「大和」と書いて「やまと」と読んでいるのです。それには理由があるのです。
このルーツを辿るとわが国の古代史に戻ります。
西暦712年に編纂された「古事記」にはわが国を「倭」と記載して「やまと」と読ませていました。
なんと西暦720年に編纂されたわが国の歴史書「日本書紀」も「日本書紀」と書いて「やまとのふみ」と読ませていたのです。
有名な魏志倭人伝には西暦238年に卑弥呼が「倭王」の金印を受領したと記載されています。
即ち古代わが国は漢字では「倭」(ワ)と表記し、国内では「やまと」と読んでいたのです。
中国の歴史書「後漢書」には西暦426年のわが国を「大倭」と称しています。
「大倭」とは国家意識の高まりで「大」をつけたもので、わが国では「おおやまと」と呼びました。
倭国の中心は九州・太宰府にあったと考えられています。
その後歴史が動いて、倭国が滅亡し、新生日本が誕生。
新生日本の中心となった近畿地方の現在の奈良県の国名として西暦752年「倭」を「和」に変えた「大和」が誕生。本来は「おおやまと」であったものが、漢字は「大和」、呼称は略して「やまと」と呼ばれるようになった。ちなみに奈良県天理市にある「大和神社」は、かの戦艦大和が守護神としてこの神社の分霊を祀っていたことでも有名であるが、この神社は「おおやまと」神社と読む。
http://www.geocities.jp/rootsdiscovery/yamato1.htmlから
そして、
Q:「大和」と書いて「やまと」と読みますよね。これは、「大」が「やま」で、「和」が「と」なのですか?それとも、「大」が「や」で、「和」が「まと」なのですか?どちらなのかが分かりません。
A:もともとは「倭」で「やまと」でしたが、その後国を表す意味で「大倭」で「おおやまと」と呼ぶようになります。この「倭」という字は、当時の中国王朝が日本のことをそのように記述していたため、こちらでもこの字をもって「やまと」と読むようになったわけです。「やまと」は当時日本で最も勢力を持っていた勢力の名称でした。これが現在の皇室の起源と云うことになります。やがて、「倭」が同じ音読みの「和」に変化し、「大和(おおやまと)」の字が生まれます。これが次第に「やまと」と読むようになり、現在に至るわけです。 つまり、本来は「おおやまと」と読んでいたのが、短縮されたわけですね。国号としては「日本」で「やまと」と読むようになり、平安時代に中国の発音だった「ニッポン」が逆輸入されて今の読み方になっています。ちなみに、現在でも「大和」で「おおやまと」と読むこともあります。