意味は同じです。
「卑しむ」はむかしの日本語です。カタイ言葉です。今はあまり使いません。
「卑しめる」は現代の日本語です。
と、話を簡単に終わらせたいところですが、実はそうなりません。
「卑しむ」「卑しめる」は両方とも文章語、どちらもカタイ言葉です。
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日本語の使役の助詞には「しむ」「す・さす」の2系統あり、奈良時代は両方使われましたが、平安時代にはいると、前者は漢文だけで使われるようになりました。源氏物語や枕草子など女流文学では「す・さす」を使います。
以後もこの傾向は続きました。その後、現代になって「さす」が「させる」になったのと同様、「しむ」も「しめる」というふうに現代風になりましたが、だからといって、これがカタイ言葉であることには変わりなく、使われるのはもっぱら、「卑しむ」「辱める(はずかしめる)」「見せしめ(名詞形)」「寄らしむべし、知らしむべからず」「商品をして語らしめよ」など、漢文的な言い方ばかりです。
「しむ・しめる」が口語で使われることはまずありません。「いや~、昨日、辱められちゃってさ~、まいったよ~」「つか、そこで卑しめたりする、フツー?」のような言い方はありません。
「しむ・しめる」は漢文的な特殊な状況の決まり文句でしか使われず、「買う->買わしめる」のような一般行動の描写には使えません(使ってもヘンに思われるだけ)。
その意味では、「しむ・しめる」では、実は古い形である「しむ」の方が今でも優勢です。漢文調の古い形の決まり文句で多用されるからです。