Elena A
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Japanese natives - please help correct this text "聖ニコライと聖パンテレイモン"ボヤナ教会 ボヤナ教会として知られている”聖ニコライと聖パンテレイモン"の教会は、ユネスコの後援の下にあり、1979年に世界遺産に登録された。教会は1954年まで活躍した。 2004年から、国立歴史博物館の支社であるためです。 建築 ボヤナ教会の建造は3段階に分けることができる。 1. 小さな十字形の教会は10―11世紀に建てられ、12世紀に再建された。これは、聖ニコライに捧げられています。 2. 13世紀の半ば頃貴族カロヤン(sevastokrator Kaloyan)とその妻デシスラヴァが古い教会に聖パンテレイモンに捧げられたアーチナルテックスと十字礼拝堂を構築しました。これ時間は、皇帝コンスタンティンアッセンとそのの妻イリーナ、ビザンチン皇帝Teodor Laskarisの娘とブルガリア皇帝イヴァンアッセン第二の孫娘の時間でした。2つめの建物は2階の墓の礼拝堂の珍しいタイプです。骨董な、そして中世の石の破片が壁に組み込んでいます。正面は陶器装飾で飾られます。 3. 19世紀の半ば頃ボヤナの村の住民が2階の別のナルテックスを構築した。 壁画 1.ボヤナ教会の第一絵の層は、12世紀に遡るフレスコ画の技法で作られてそれが1259のそれ以降の絵で覆われて断片的にしか見られなくなっている。 神殿には高位聖職者からの断片、そして“キリストの受難”、聖イオアンDamskin、St.Kozma Mayumskiの画像、“受胎告知”の聖母、未知の預言者、入り口の両側にイエスと聖ニコライの画像の断片が保存されている。この断片は、ブルガリアの12世紀の絵画のほとんどの証拠です。 2.1259年には全体の教会が新たに描かれた。これは、バルカン半島に大きな政治的、文化的な変化の時代だった。1204年から1261年までコンスタンティノープルはローマの支配下にあってタルノヴォは、正統派の世界の主要な文化の中心地となった。ボヤナの壁画のアンサンブルは、教会の絵画の唯一の最も重要な記念碑だけでなくて、すべての13世紀正統派の美術で最も代表的です。そしてブルガリア中世芸術の象徴とされている。絵は、おそらくタルノヴォから、特に呼ばれていたブルガリアの画家の作品です。 それは13世紀のソフィア宮殿美術を明らかにする唯一の完全保存記念碑です。教会全体の碑文は、ブルガリア語だけに書かれています。壁画は「secco」の技術で描かれて、そして少なくとも3人の画家の仕事です。 2008年にカロヤンのナルテックスの正面に石炭の準備図面と画家の一人の署名の"私Vasilie が書いた"の碑文が見つけられました。
Mar 26, 2011 10:05 PM
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 この文章だと、細部をどう翻訳すれば正しいのかわからないです。 例えば文章の中に「骨董」と出てきますが、「骨董的な価値を持つ」と 言いたいのか、単に「古い」と言いたいのか、など。 原文を掲載するか、歴史サイトへのURLを載せてくれると訳しやすい と思います。  また、ブルガリア語のできる日本人もいると思いますが、 正確に訳してある英語文があれば、それを掲載したほうが、 訳してくれる人が増えるのではないかと思います。
March 27, 2011
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聖ニコライと聖バンテレイモン・ボヤナ教会 ボヤナ教会として知られている”聖ニコライと聖バンテレイモン教会は、ユネスコの後援下にあり、1979年に 世界遺産に登録されました。教会は1954年まで活躍し、2004年から国立歴史博物館の分館になっています。 建築                                                             ボヤナ教会の建造は3段階に分けられます。 1.小さな十字形の教会は、10世紀から11世紀に建てられ、12世紀に再建されました。この教会は聖ニコライに捧げられたものです。13世紀の半ば頃、貴族カロヤンとその妻デシスラヴァが、聖バンテレイモンに捧げられたアーチナルテックスと十字礼拝堂を、古い教会に構築しました。この時代は、皇帝コンスタンチンロアッセンとその妻イリーナ、そしてビザンチン皇帝テオドアラスカリスの孫娘とブルガリア皇帝イヴァンアッセンの第2の孫娘の時代でした。2つ目の礼拝堂は2階建ての珍しいタイプです。古風な中世の石の破片が組こまれています。正面は陶器装飾が施されています。 3.19世紀の半ば、ボヤナ村の住民が2階建ての別のナルテックスを建造しました。 壁画 1.ボヤナ教会の第1層の絵は、12世紀に遡るフレスコ画の技法で作られています。そしてそれが1259年以降の絵で覆われ、断片的にしか見ることができません。神殿には、高位聖職者の断片と"キリストの受難”、聖イオアンの画像、”受胎告知の聖母”、未知の予言者そして入り口の両側には、イエスと聖ニコライの画像の断片が保存されています。これらの断片のほとんどが、12世紀ブルガリア絵画の遺物です。 2.1259年には、教会全体が新に描かれました。この時代はバルカン半島に大きな政治的文化的変化がありました。1204年から1261年までコンスタンチノープルは、ローマの支配下にあってタルノヴァは世界の主要な正統派文化の中心地になりました。ボヤナ絵画のアンサンブルは最も重要な唯一の記念碑であるばかりでなく、すべての正統派美術の中で最も代表的なものです。そしてブルガリア中世芸術の象徴とされています。その絵は、おそらくタルノヴァ出身のブルガリア画家の作品です。そして13世紀ソフィア宮廷美術を明らかにする唯一の完全保存記念碑です。教会全体の碑文はブルガリア語だけで書かれています。壁画は"secco"の 技術で描かれ、少なくても3人の画家達の作品です。2008年にカロヤンのナルテックスの正面に石炭の下書き図面と画家の署名"私Vasilleが書いた”の碑文が発見されました。
March 27, 2011
long text
March 26, 2011
Please, correct the text, do not translate it into any other language.
March 26, 2011
Please help me correct this text about a historical site in my country.
March 26, 2011
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