Li YunPeng
いくつか質問があります。 最近、宮沢賢治さんの「手紙四」を読んでいました。その中で、理解できないところは何箇所があります。 質問一、「ポーセがせっかく植えて、水をかけた小さな桃の木に蛞蝓をたけておいたり、ポーセの靴に甲虫を飼って、二月もそれをかくしておいたりしました。」の中で、「蛞蝓をたけて」という意味でしょうか?たけるというのは「哮る」ですか? 質問ニ、「それから春になってチュンセは学校も六年でさがってしまいました。」の中で、「六年でさがる」というと、学校をやめるという意味でしょうか? 質問三、文章の最後に「それはナムサダルマ・プフンダリカサスートラというものである。」の中で、片仮名で書いたものがどういう意味でしょうか? よろしくご指導ください。
13 Thg 10 2014 06:42
Câu trả lời · 4
1
質問1 文脈から考えると、「つける」または「擦(なす)り付ける」という意味だと思います。 古語辞典にも載っていないので、方言だと思います。ネットで調べたところ、北関東の一部では「たける」を「つける」または「擦(なす)り付ける」という意味で使うそうですが、宮沢賢治の出身地である岩手方言にはなさそうです。 質問2 Claudioさんの理解が正しいです。学校をやめてしまったという意味です。 質問3 宮沢賢治は仏教徒で法華経を信仰していました。 調べたところによると、カタカナ部分は古代サンスクリット語(インドの仏教典語)の音訳のようです。 鳩摩羅什によって「南無妙法蓮華経」(日本語の読み方:なむみょうほうれんげきょう)と翻訳されています。法華経に帰依(きえ)します/法華経を信仰します というような意味だそうです。
13 tháng 10 năm 2014
質問1 文脈から考えると、「つける」または「擦(なす)り付ける」という意味だと思います。 古語辞典にも載っていないので、方言だと思います。ネットで調べたところ、北関東の一部では「たける」を「つける」または「擦(なす)り付ける」という意味で使うそうですが、宮沢賢治の出身地である岩手方言にはなさそうです。 質問2 Claudioさんの理解が正しいです。学校をやめてしまったという意味です。 質問3 宮沢賢治は仏教徒で法華経を信仰していました。 調べたところによると、カタカナ部分は古代サンスクリット語(インドの仏教典語)の音訳のようです。 鳩摩羅什によって「南無妙法蓮華経」(日本語の読み方:なむみょうほうれんげきょう)と翻訳されています。法華経に帰依(きえ)します/法華経を信仰します というような意味だそうです。
13 tháng 10 năm 2014
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